それは自然現象ではない、経営の選択だ。
フィジカルAIの現実と、人間に残る「問い」
第2回では、「AIは受注仕事に向いている」という若林氏の指摘から、私たちの仕事がAIの登場以前から機械に渡しやすい形につくられてきたこと、そしてAIを具体的な産業や現場でどう価値につなげるかを考えました。最終回では、AIによる効率化が企業や経済に何をもたらすのかを入り口に、フィジカルAIの現実と、人間に残る「問い」について話を進めます。
01 / Not a Typhoonそれは自然現象ではない、経営の選択だ
坂本:
人が情報を取得し、処理する能力には限界があります。地方も含めて隅々まで情報を集め、一定の前処理までAIが担えば、これまで人だけではカバーできなかった部分を補える。政策判断のような場面でも、情報の偏りを補正する方向に使えますよね。これは人の仕事を置き換えるというより、人では担いきれないところをAIで補う、という使い方だと思うんです。
若林:
それも結局、人が十分にいれば人がやればいい、という話ではあるんです。ですから、これはAIの能力の問題というより、かなりの部分が雇用や経営の問題なんですよね。自分たちが実現したいことがあって、それに対して人が足りない。あるいは、人を雇っていてはコストが合わない。そこでAIを使って補うというのであれば、話はよく分かります。でも、人員も十分にいて、その人たちを雇い続けられるだけの売上もあるのであれば、別にAIに置き換えなくてもいいわけです。そこには本来、経営上の選択肢があります。
前にも企業の方と話していたときに、「AIが入ってくると新人の仕事がなくなりますよね。だったら新人を採らなくてよくなるんでしょうか」と言われたことがありました。でも、それを決めるのはAIではなく経営ですよね。新人を採らなければ、数年後に中堅も管理職もいなくなります。新人に何を経験させ、どの仕事を残し、どこを機械に渡すのかまで含めて、仕事を設計するのが経営の役割です。
労働の機械化の歴史を振り返っても、機械が自然に人間の仕事を奪ってきたわけではありません。それまで一人の職人がやっていた仕事を工程に分け、その一部を機械に渡し、残りを人間に担当させるという編成を、企業が繰り返してきたわけです。テイラーの科学的管理も、フォードの生産方式も、オフィスの事務合理化も、基本的には同じです。ですからAIについても、「AIが来たから仕事がなくなる」と、台風が来るような自然現象として考えるのは少しおかしい。どの仕事をAIに渡し、どの仕事を人に残し、その結果どんな会社にするのか。それを決める主体は、まだ人間の側にあります。そこにエージェンシーがあるはずなんです。
台風が来るような自然現象として捉えてしまうわけです。そこにエージェンシーはあるんですか、と思うんですよね。
02 / The Missing Ninety Million9000万円は、どこに消えたのか
坂本:
そこで、どこに意思決定の軸を置くかが問われますよね。先ほどの話のように、人の数でカバーすればいい、という考え方もできるし、逆に、やりたいこと・やらなければいけないことが人の数を超えているなら、そこでAIを使う。あるいは、人よりAIのほうが優れている領域では、AIを優先する。いくつかの考えがあるなかで、何を基準に選ぶのか、ということだと思います。
若林:
それはそうかもしれません。ただ、結局は、自分たちが何をやりたいのか、何をやらなければならないのか、そのなかにAIがどう噛み合うのか、という順番だと思うんです。技術的にできることが増えたからといって、それに合わせて会社の事業や仕事のほうを組み替えてしまうのは、少し本末転倒ですよね。
もちろん、新しい技術が出てきたことで、それまで考えられなかった事業が生まれることはあります。その意味では、「AIで何ができるのか」から発想することにも意味はあります。ただ、それだけを起点にしてしまうと、そもそも自分たちは何を実現したい会社なのか、何のためにその仕事をしているのか、という基本的な問いが抜け落ちてしまう。
機械化の歴史を見ても、重要なのは機械に何ができるかではなく、どの工程を機械に渡し、どの仕事を人間に残すのかを、その都度人間の側が決めてきたことです。AIについても同じで、AIにできるからやらせるのではなく、自分たちが実現したいことに照らして、どこで使うことに意味があるのかを考える。その順番は崩さないほうがいいと思います。
坂本:
第2回で伺った効率化の話の観点で言うと、AIによって、例えばこれまで100のリソースを必要としていた仕事が、80、60でできるようになる。その先で浮いた時間やコストを使って何を生み出すのか、というアップサイドをどうつくるかが重要になりますよね。それが、あくまでずっと人がやり続けるものなのか、それともツールとしてのAIを活用し、このアップサイド自体をさらに大きくできるのか。その議論や具体的な出口は、まだあまり見えていないように思います。
若林:
それはそうだと思います。ただこれも結局、会社として何をやりたいのか、そのためにAIがどう噛み合うのか、という順番だと思うんです。技術的にできることから出発して、会社の事業のほうをそれに合わせていくのは、少し本末転倒ですよね。もちろん、新しい技術によって、それまで存在しなかった事業が生まれることはあります。ただ、「AIで何ができますか」から考えるのと、「自分たちは何を実現したいのか、そのためにAIが必要なのか」から考えるのでは、だいぶ違います。
それで言うと、いまはまだ成功事例が少なすぎると思っています。具体的な事例がほとんどない状態で、みんながAIに何を期待しているのか、よく分からないところがあります。この間もデザイナーの知人と話していたのですが、その人はデザインもできてコードも書けるので、AIを使えばウェブサイトをかなり速く作れるんです。以前ならチームで数週間かけていた仕事を、一人で数日でできるかもしれない。それは、その人個人にとっては非常にいい話です。
ところが、経済全体で考えると少し話が変わります。たとえば大手代理店が一億円で受注していた仕事を、優秀な個人がAIを使って一千万円でできるようになったとします。その個人にとっては、一千万円の仕事を一人で取れるわけですから、大きなエンパワーメントです。でも同時に、残りの九千万円はどこに行ったのか、という問題が出てきます。その九千万円が別の新しい仕事や投資に回れば、生産性向上が新しい需要を生むことになります。しかし、単純に消えてしまうのであれば、合理化によって経済全体の取引量が縮んだだけ、という可能性もあります。
機械化の歴史では、この問題が何度も出てきます。機械を入れれば一単位あたりの生産コストは下がります。でも、それだけでは経済成長にはなりません。値段が下がった結果、市場が広がるのか、新しい商品が生まれるのか、別の産業に人や資本が移るのか、という次の動きが必要です。AIについても同じで、「一〇〇人でやっていた仕事が十人でできます」というところで話を終えてしまうと、それは経営者にとってのコスト削減ではあっても、社会全体にとって何が増えたのかは分からない。
オフショアに出していた仕事をAIに置き換える場合も同じです。発注側から見れば合理化ですが、その仕事で生活していた人たちから見れば所得の消失です。大手企業が効率化すれば、その下にいる系列企業や協力会社に仕事が回らなくなることもあります。ですから、個々の企業にとって合理的な選択と、経済全体にとって望ましい選択は必ずしも一致しません。個人がAIによって強くなること自体は、とてもいいことだと思います。ただ、その強くなった個人が一人、二人いるだけではなく、何万人、何十万人と新しい仕事をつくれる仕組みにならなければ、マクロでは単なる縮小になりかねません。
坂本:
たとえば、1か月かかっていたものが3日でできるようになったとき、残りの時間で何をするのか。1億円で発注していたものが1000万円でできるようになったとき、浮いた9000万円を別の投資に回す具体的なアイデアがあれば、新しい価値につながる。ただ、その使い道を本当に生み出せるのか。第2回で伺った「人の仕事は、AIが登場する前からAIに最適化されていたのではないか」という話を踏まえると、時間が生まれても、そこから新たな問いや創造性を生み出す力が人間に残っているのか、という問題にもなりますよね。
合理化という話だけでやっていくと、基本的に経済としてはシュリンクしているのではないか。
03 / Payroll as Welfare会社が払う給料は、ほとんど福祉だ
若林:
逆に言えば、その一億円という価格自体が、本当に一億円分の価値を表していたのか、という問題もあります。組織が巨大になると、承認、調整、管理、資料作成など、本来の成果物とは直接関係のない仕事がかなり増えます。デヴィッド・グレーバーが言った「ブルシット・ジョブ」に近い部分が、価格のなかに含まれていた可能性もある。そう考えると、AIによる合理化が全部悪いとも言えません。
ただ、一方で、企業を純粋な生産装置としてだけ見るのも違うと思っています。少し極端な言い方をすると、会社が社員に給料を払うことには、かなり福祉的な側面があります。人間は全員が毎日最大の生産性を発揮するわけではありません。能力にもばらつきがありますし、人生の局面によって調子も変わります。それでも毎月給料が支払われ、家族を養い、住宅ローンを払い、子どもを学校に通わせることができる。企業は市場で商品をつくる組織であると同時に、所得を分配し、人を長期的に抱え、技能を育てる社会制度でもあったわけです。
昔『WIRED』にいた頃、仲間と「実際にこの会社で本当に働いているのは何割くらいなんだろう」と冗談半分で話したことがあります。自分は三割くらいかなと言ったら、「いや、もっと少ないでしょう」と言われた(笑)。でも、会社というのは本来、それでも成立する仕組みだったんですよね。全員をスタープレイヤーにしなくてもいい。仕事の速い人も遅い人もいて、考えるのが得意な人も、人を支えるのが得意な人もいる。それをまとめて、全体として持続させるのが経営だったはずです。
ところがAIによって、あらゆる仕事を細かく計測して、「この作業ならAIは三秒です」「人間は三時間です」と比較し始めると、人間は必ず負けます。でも、その尺度だけで会社をつくったら、そもそも会社という制度が何のために存在するのか分からなくなります。AIの登場によって問われているのは、人間の生産性だけではなく、企業とは何を維持するための制度なのか、ということでもあると思います。
坂本:
そうですね。会社を経済合理性だけで捉えるのではなく、人の生活や技能、周囲の産業まで支える社会的な仕組みとして見る、ということですね。
若林:
そういう意味では、大手代理店が大きな仕事を受注して、それをいろいろな会社や個人に回していく仕組みにも、当然問題はありましたが、一方では多くの人の生計を成り立たせていたという側面があります。税金を使っている組織なら、無駄な発注を温存すればいいという話にはなりません。ただ、企業間取引を単なるコストとしてしか見ないと、企業が周囲の技能や産業基盤を育ててきたという側面が見えなくなります。
以前、DJ機器をつくっていた会社の創業者で、経営者として非常に好きだった方がいました。その人がよく、「企画側の仕事は、製造工場の技術力を上げることでもある」と言っていたんです。同じものばかり発注していると、工場の技術力は落ちていく。だから毎回、少しだけ難しいものを設計して発注する。工場にとって何が難しく、何をやれば次の技術につながるのかを理解したうえで商品を企画するわけです。これは相当に高度な経営だと思います。
系列という仕組みにも、似た側面がありました。本社が仕事を切り出して安いところへ発注するだけではなく、取引先に継続して仕事を出し、設備投資や技能形成を可能にする。それによって産業全体の能力を維持するわけです。企業はスタンドアローンで存在しているわけではありません。取引先も、物流も、教育も、地域社会も必要です。極端に言えば、会社の近所に昼飯を食べる場所が一軒もなければ、そのオフィスだって長期的には成り立たない。
ですから「合理化」という言葉を使うときには、何を合理化しているのかを考えたほうがいいんです。一社の損益計算書だけを見れば合理的でも、取引先の技術や地域の雇用まで含めれば非合理的かもしれない。近所の定食屋にはちゃんと行ったほうがいい、という話は、半分冗談ですけれど、半分は本気です。
会社が払う給料は、ほとんど福祉だ。
04 / Vertical, Not HumanoidフィジカルAIに、人型はいらない
坂本:
フィジカルAIについては、どうお考えですか? ロボティクス・ヒューマノイドの領域では、もともとは工学的に動いていたものが、AIを活用してシミュレーションも含め、ある程度自動化できるようになっています。自律性がどんどん上がって、それを産業現場で使う方向もあれば、もう少しヒューマノイド的なところで人とのコミュニケーションを担ったりする、というのが一般的な捉え方だと思います。
若林:
少し前に政府の成長戦略を見ていて面白かったのが、宇宙、量子、AIといった項目のなかに、造船がかなり大きく入っていたことです。造船は、日本がかつて非常に強かったにもかかわらず、長い時間をかけて生産能力を手放してきた産業ですよね。現在は中国のシェアが非常に大きくなり、アメリカも自国だけでは必要な船舶を十分につくれないので、日本や韓国にもう一度能力を増やしてほしいという話になっています。
ただ、では日本で造船を増やしましょうと言っても、簡単ではありません。造船所も必要ですし、技能を持った人も必要です。さらに船を運航する人も必要になる。少子高齢化のなかで、重工業や物流の担い手をどう確保するのかという問題が先にあります。外国人労働者を増やすという方法もありますが、それだけで全部解決できる規模なのかという問題もあります。そう考えると、船舶の自動運航や港湾の自動化、造船工程のロボット化といった領域は、フィジカルAIがかなり明確な意味を持つ場所だと思います。
近代の機械化は、人間の形をした機械をつくることから始まったわけではありません。人間がやっていた仕事を工程に分解し、そのなかで機械に向いている部分を機械に移すことで進んできた。旋盤もベルトコンベアも産業ロボットも、人間に似ている必要はありませんでした。重要なのは、その産業のなかで何を機械化すると全体の能力が上がるのかということです。
坂本:
造船所とドック(船渠)が不足していると聞きました。造船会社の方と話していたら、もう4年ほど先まで新規の受注を入れられないほど埋まっている。それでもアメリカは、造船能力の拡大を求め続けているということでした。
そこまで需要があるのなら、ピーター・ティールっぽい発想ですが、海上に造船所をつくるくらいのことを真剣に考えたほうがいい。そのときは、もう普通にフィジカルAIというか、ロボットを使う以外の選択肢はないと思うんです。むしろ、なぜこれまでやってこなかったのか、とも感じます。
重工業がオフショア化していった背景には、人がやりたがらない仕事であることや、中産階級が拡大して大卒者が増えるなかで、担い手が少なくなったこともあると思います。ただ、本来であれば、やる人がいないなら、早い段階でロボットに任せるという発想が必要だった。今思うと、そこにもっと早く気づいておくべきだったと感じます。自動車産業ではかなり自動化が進んでますし、日本には強い産業用ロボットメーカーもあります。そこは本来、成長産業になり得たはずですが、製造現場が海外に移っていくなかで、中国などがその生産力を高めていった。
逆に言うと、汎用的なフィジカルAIは必要ないと思うんです。介護なら介護、レストランの配膳なら配膳、原発の処理なら原発の処理、物流なら物流に特化する。そうした方向性を考えるほうが、社会にとっても意味があるのではないでしょうか。
若林:
ドラえもんのような汎用ロボットをつくることには、個人的にはあまり必然性を感じないんです。もちろん技術としては面白いです。でも、実際にどこで使うのか、誰がいくらで買うのか、そこまで考えると急に分からなくなる。AGIと同じで、「何でもできます」ということ自体が、必ずしも商品価値にはならないんですよね。
むしろ介護なら介護、物流なら物流、建設なら建設、災害対応なら災害対応というふうに、その現場に必要な知覚と判断と動作を組み合わせたほうがいい。たとえば建物の制振装置がセンサーから情報を受け取り、地震の揺れに応じてリアルタイムに制御を変える。それだって、広い意味では十分フィジカルAIです。ロボットというと、どうしても手足がついて歩いているものを想像してしまいますが、現実世界を認識して、判断して、物理的な環境に作用するのであれば、人型である必要はまったくありません。
日本は昔からロボットが好きですが、少し人型にこだわりすぎているところがある気がします。フィジカルAIを産業として考えるのであれば、「人間そっくりの機械をどうつくるか」ではなく、「この産業で人が足りなくなる工程はどこか」「ここを自動化すると産業全体を維持できるのはどこか」というところから考えたほうがいいように思います。
現実世界を認識して、判断して、物理的な環境に作用するのであれば、人型である必要はまったくありません。
坂本:
そうですね。フィジカルAIであっても、基本的にはバーティカルAIの方向に集中していくべきだと思います。AGIに近づけようとするほど、人の姿や振る舞いに寄せようとして——
若林:
人に近づければ近づけるほど、かえって違和感が強くなるという問題もありますよね。機械の側から見ても、人間を再現することが最適解なのかは分かりません。
坂本:
人に似せようとすると、人ではないのに人らしく見えるものが、かえって一番違和感を生むじゃないですか。人を超えるほどのものにならない限り、その違和感は残り続けるというか。
若林:
そもそも人間という動物自体、真似したいほど魅力があるのか、とも思いますよね。速く走れるわけでもないし、重いものを持てるわけでもない。暗闇で目が利くわけでもないし、空も飛べません。かなり特殊な環境に適応した身体です。ですから機械まで人間の形に合わせる必要はないはずです。四足歩行が向いている現場なら四足でいいし、車輪が向いているなら車輪でいい。水中なら魚のような形でもいい。人間型をつくること自体を目的にしてしまうと、また技術から用途を逆算する話になってしまいます。
05 / What Can’t Be Delegated「打ち合わせは1時間」を疑い、読解力を鍛えよ
坂本:
先ほど、人の可能性や役割を生かすという話がありました。これはAIに限らない話ですが、若林さんはこれまで、問いを立てる力や編集する力を培ってこられたと思います。そうした力は、どうすれば鍛え、身につけることができるのでしょうか。
若林:
企業の方から「メディアのようなものをつくりたい」「新しい企画を考えたい」という相談を受けることがありますが、そのとき最初に思うのは、「打ち合わせは一時間」という仕事の形式自体を、いったん疑ったほうがいいということなんです。場合によっては七時間話したほうがいいし、食事をしながら話したほうがいい。歩きながら話したほうがいいこともあります。
会社として公式に説明できる要件は、一時間もあれば聞けます。でも、実際のプロジェクトは、それだけでは動いていません。担当者がこの案件をどう成功させたいのか、上司にどう評価されたいのか、その上司は会社のなかで何を実現したいのか。予算は本当に問題なのか、それとも別の部署との関係が問題なのか。担当者自身が来月会社を辞めるかもしれない。そういう、一見すると業務要件ではない情報が、最終的な成果物を大きく左右します。
ところが、仕事を工程化すると、そういう情報は「要件ではない」として落とされていきます。ヒアリングを一時間、課題を三つに整理、解決策を三案提示、というような形式にしてしまう。これはまさに、近代の労働がずっとやってきたことです。複雑な仕事を、観察可能で、記述可能で、受け渡し可能な単位に分けていく。その形式はAIにとても向いています。ですから、同じ形式のままAIだけ入れたら、AIが人間よりうまくやるのは当然なんです。
逆に、人間の側に残るのは、まだ要件になっていないものを拾うことだと思います。話しているうちに、「本当はこの人が困っているのはそこではないな」と気づく。本人もまだ言葉にできていないものを、時間をかけて探していく。これは最初から問いが定義されていないので、工程にしにくいんです。
第2回でカール・クラウスの「創造的必然性」という話をしましたが、まさにそれに近いと思います。詩を書くときに、「この意味を伝えたいから、必要な単語を三つ選びましょう」と工程化しても、詩にはならない。ある言葉を置いてみる。でも、しっくりこない。別の言葉にする。それでも違う。その作業を繰り返していくうちに、ある瞬間に「これだ」となる。そのとき初めて、自分が何を探していたのかも分かる。
ですから、ここでは問いが先にあって答えを探しているわけではありません。問いと答えが同時に立ち上がってくる。その過程で手がかりになるのは、「しっくりくる」「しっくりこない」という判断なんです。クラウスが面白いのは、とりわけ「しっくりこない」という否定的な感覚を重要視していることです。何が正解かは分からなくても、「これは違う」ということだけは分かる。それを捨てずに追い続ける。
この「違う」という感覚を、どこまで細かく持てるかはかなり重要だと思います。AIは大量の候補を出すことはできますし、その候補のなかに思いもよらないものが混ざることもあります。でも、それを見て「これは違う」「これは面白い」「ここに何かある」と判断するのは、結局こちら側なんですよね。ですからAI時代に重要になるのは、プロンプトを書く能力以上に、出てきたものを読む能力だと思っています。
坂本:
時間をかけて、思考を行ったり来たりさせることが大切だということですよね。ただ、企画について7時間話したり、場所や環境を変えながら考えたりすることが、難しくなっているようにも感じます。例えば、採用でも、30分とか1時間でその人を判断しなければならないことがある。それで人を判断するのは、結構大変だと思うんですよ。そうした時間の制約がある中で、どうするか、というところだと思うんです。
若林:
ですから、「打ち合わせは一時間」と最初から決める必要はないと思います。時間が足りないのであれば、本当に重要な仕事には時間をつくる、ということなんじゃないですか。
坂本:
そうしないと、「それっぽい提案」であれば、AIに任せれば作れる、という話になってしまいますよね。
若林:
本来、それくらい時間をかけて向き合わなければ分からないことがあります。それを「そんな時間はありません」で終わらせてしまうのであれば、仕事のほうを一時間というフォーマットに合わせていることになります。
採用などもそうですよね。後になってうまくいかなかったときに振り返ると、「最初に会ったとき、少ししっくりこなかったな」と思い出すことがあります。でも、その違和感はすぐロジックで上書きできます。経歴は申し分ない、スキルもある、評価も高い。だから大丈夫だろう、と自分を説得できてしまう。合理性には、自分で決める怖さを引き受けなくて済むという便利さがあります。
これは組織のなかで誰かを説得するためには有効です。「この案がいい理由を三つ挙げてください」と言えば、AIはいくらでもつくってくれるでしょう。でも、それは意思決定を正当化するための文章であって、何がいいのかを発見することとは別です。合理性は決定を説明することはできますが、必ずしも決定を生み出しているわけではないんです。
打ち合わせは1時間、という考え方は、見直したほうがいい。時間がないなら、時間をつくる。
若林:
何かを見て「これはいいかもしれない」と気づく能力は、AI以前の問題です。本を読んでも映画を見ても、結局は読解なんです。何が書いてあるかを理解するだけではなく、「なぜここが気になるのか」「この言葉だけ少し変だ」「この人が言っていることと、別の場所で読んだことがつながる」というふうに読む。その積み重ねによって、初めて新しい問いが出てきます。
AIを使っていても同じです。AIが百個の候補を出してくれても、全部同じに見える人にとっては百個あっても意味がありません。そのなかの一つにだけ妙なものが混じっていることに気づけるかどうか。結局、差を読む力が必要なんです。
坂本:
それはよく分かります。
若林:
とあるプログラムで、よく「アメリカでいま一番イケている映画監督を検索してください」という課題を出していました。すると、多くの人が最初に「イケているとは何か」を定義しようとするんです。でも、そこで定義をつくってしまうと、その定義に当てはまる人しか出てこなくなる。
むしろ最初は雑に検索して、出てきたものを読むんです。「イケている」という言葉の近くに、どんな言葉が集まっているのかを見る。ある時期なら「女性」かもしれないし、「インディペンデント」かもしれないし、「A24」かもしれない。そこで隣に現れた言葉を次の検索語にして、また結果を見る。そうやって検索結果そのものから、自分が探しているものの輪郭を少しずつつくっていく。
これは、最初に問いを定義して答えを取りに行く方法とは逆なんです。検索しながら問いをつくっていく。ネットというのは、その意味では巨大な「用例集」だと思っています。ある言葉が、どんな言葉と一緒に使われているのか。どんな文脈で現れるのか。それを見る場所です。
生成AIも基本的には似ています。膨大な言語の用例から、「こういう言い方があり得ます」「こういう組み合わせがあります」と返してくる。もちろん検索とは仕組みが違いますが、利用者の側から見れば、それを最終的な答えだと思わず、ひとつの用例、一つの候補として読むことが重要です。
みんな検索やAIの話になると、すぐに「正しい答え」や「本質」を取りに行こうとします。でも、そこに最終的な答えが置いてあるわけではありません。出てきたものを読み、違和感を見つけ、そこから次の問いをつくる。その意味では、AI時代にいちばん重要になるのは、AIを使う技術というより、読む技術なのではないかと思っています。
ネットは用例集なんですよ。それをちゃんと読める力が必要なんです。
今回の対談は、国・企業・個人という3つのレイヤーを行き来しながら、AI時代の主体性について考えるものでした。国と企業の境界が曖昧になるなかで、企業はどこに立つのか。AIに適したかたちへ組み替えられてきた仕事のなかで、人間は何を担うのか。さらに、AIによる合理化を、企業や経済の縮小ではなく、新しい価値につなげられるのか。話は、技術の可能性そのものよりも、それを使う側の選択へと向かっていきました。
若林氏が繰り返し語っていたのは、AIで何ができるかを先に考えるのではなく、自分たちは何を実現したいのか、そのためにAIをどこで使うのか、という順番です。どの仕事をAIに渡し、どの仕事を人に残すのか。フィジカルAIも、人型や汎用性を追うのではなく、産業や現場から考える。そして、AIが出してきたものを答えとして受け取るのではなく、そこにある違いや違和感を読み、次の問いを見つける。AI時代に主体性を保つとは、こうした判断を人間の側に残しておくことなのかもしれません。
(本シリーズ、了)
← 第2回「AIは、受注仕事に最適化されている。」
CONTACT
ご依頼・ご相談など、お問い合せはこちら