「守る」から「預けない」へ──AI時代の情報漏洩とデジタル証明書

相次ぐ個人情報漏洩

2026年9月ごろから、大手企業や公的機関で個人情報の漏洩が相次いで公表され、ニュースを騒がせています。会員情報が1,000万件を超えて漏れた例もあります。10月上旬には、個人情報保護委員会や警察庁など多くの政府機関が、企業や個人に向けて次々と注意喚起を出しました。

漏れた情報の中には、とうに退会した人や、登録を途中でやめた人のものまで含まれていたとの報告がありました。本人はもう使っていないつもりのサービスから、ある日「お詫び」のメールが届くのです。

なぜ、漏洩の被害はここまで大きくなってきたのでしょうか。本稿では、AIによって変わりつつある攻撃の姿をひもときながら、その根本にある原因と、解決に向けた技術の動きを紹介します。

AIで変わった攻撃

漏洩被害が拡大した理由の一つは、攻撃する側の変化です。特に変わったのは、攻撃の速さと量です。

2025年11月、AI開発企業のAnthropicは、自社のAIが悪用されたサイバー攻撃を報告しました。国家の支援を受けているとみられる攻撃者が、約30の組織を狙った事例です。攻撃の作業のうち8〜9割をAIが自律的にこなし、人が判断したのは要所だけでした。2026年9月には、人の手なら2週間ほどかかる規模の侵入を、AIを使って10時間足らずで進めた例も報告されています。

今回相次いだ漏洩では、公開されている既知の弱点や設定の不備を、たくさんのサイトにわたって探し回る手口が指摘されています。情報通信研究機構(NICT)は10月、公開されているアプリを解析してサーバーを狙う手口を、相次ぐ漏洩の原因の一つとして挙げました。あわせて、AIの活用でアプリの解析や弱点の発見が効率化され、攻撃がさらに広がるおそれがあると注意を呼びかけています。攻撃が速くなったぶん、守る側が異変に気づいて手を打つころには、すでに被害が広がっているおそれがあります。

だからこそ、「侵入されないこと」だけを目指すのではなく、「侵入されても致命傷にならないこと」を考える必要があります。被害の大きさを決めるのは、破られたときにそこに何が、どれだけあったかです。

根本原因

一方で、攻撃する側の変化だけでは、被害の大きさは説明できません。被害を大きくしている根本原因は、同じ個人情報を、たくさんの会社が持ち続けていることにあります。

自分に置き換えて、少し想像してみてください。あなたの住所は今、いくつの会社に保存されているでしょうか。通販サイト、クレジットカード、携帯電話、ポイントカード、一度だけ使った予約サイト。数え始めると、すぐに両手では足りなくなります。名前や生年月日にも同じことがいえます。

あなた
  • 氏名
  • 住所
  • 生年月日
  • 通販サイトコピーを保存
  • クレジットカードコピーを保存
  • 携帯電話コピーを保存
  • ポイントカードコピーを保存
  • 予約サイト(一度だけ利用)コピーを保存
保存先が5つあれば、漏洩の入口も5つ
図1同じ個人情報が、利用したサービスの数だけ保存されている

漏洩の入口は、この情報のコピーの数だけあります。しかも一社あたりが抱える人数は増えています。東京商工リサーチの調べでは、2025年に上場企業とその子会社で起きた漏洩・紛失事故は180件で、前年より少し減りました。一方、漏れた人数は約3,064万人で、前年のほぼ倍です。事故の数が増えたのではなく、一度に漏れる量が膨らんでいるのです。退会した人の情報まで漏れたのも、もう使わないはずの情報を持ち続けていたからです。

個人情報を企業が持ち続けるのには、理由があります。次の買い物のたびに住所を入力してもらうのは面倒ですし、入力された住所が正しいかもその場では確かめようがありません。本人確認のために預かった免許証の画像にも、確認の記録や後からの問い合わせに備えて保管しておく理由がありました。しかし、これだけ攻撃の手法が変化する時代においては、持ち続けることのリスクが、その利点を上回るようになってきました。

発想の転換:VCという仕組み

企業での対策として、例えば本人確認のために預かった免許証の画像を、確認が済んだらすぐに削除する方針に切り替えることが行われています。必要なのは画像そのものではなく、「本人確認は済んでいる」という事実だけだからです。10月には金融庁も、免許証の画像を含む情報の漏洩が相次いだことを受け、オンラインで本人確認を行う事業者に、画像ではなく本人確認書類のICチップを読み取る方式への早期移行を求めました。個人情報保護委員会も、事業者に向けて不要になった個人データの削除を呼びかけています。

必要なときに正しい情報を都度もらえばよい。そういう考え方になってきています。この考え方をもう一歩進めると、情報そのものを受け取らずに、必要な事実だけを確かめることができます。それを可能にするのが、VC(Verifiable Credentials、検証可能な証明書)という技術です。

VC(検証可能な証明書)とは

VCは、その人が確かに特定の資格や属性を持っていることを証明する、デジタルの証明書です。本人のスマートフォンの中にある「ウォレット」(デジタルの財布)に入れて持ち歩きます。以前の記事「『再入力』のないEC」では、これを「買い物のパスポート」にたとえました。本稿に関わる特徴は2つです。

  • 必要な項目だけを選んで見せられるこれを「選択的開示」といいます。
  • 本物かどうかを、受け取った側が確かめられる証明書には発行元の署名が付いていて、中身を書き換えればすぐに見破られます。

例えば、お酒を通販で買うとき、お店が知りたいのは生年月日ではありません。20歳以上かどうかだけです。VCを使えば、本人は「20歳以上である」という事実だけを見せられます。お店は生年月日を知らないまま、年齢の条件を確かめられます。署名があるので、本人の自己申告より確かです。

 

発行元
自治体など
署名付きで
証明書を発行

 

本人のウォレット
  • 氏名
  • 生年月日
  • 住所
  • 20歳以上
「20歳以上」
だけを提示

 

お店
  • 署名で本物か確認
  • 生年月日は受け取らない
図2生年月日を渡さずに「20歳以上」だけを証明する

荷物の発送に必要な住所ではどうでしょうか。荷物を届ける以上、お店は住所を知り、伝票を書く必要があります。とはいえ、ずっと保存しておく必要はありません。買い物のたびに、本人がウォレットから最新の住所を渡せばよいからです。入力の手間はかからず、署名があるので、自治体が証明した住所だと確かめられます。お店は発送や返品に必要なあいだだけ住所を持ち、その後は不要として削除できます。

VCのメリット

この仕組みには、利用する私たちやお店にとって大きなメリットがあります。

被害の範囲を限定できる

個人情報漏洩はあってはならないことですが、発生したときのリスクをいかに軽減するかという観点も重要になります。万一情報が漏れても、なりすましのような重大な被害につながりにくくなります。氏名、住所、生年月日、免許証の画像がそろって漏れれば、他人になりすました契約に使われるおそれがあります。一方、「20歳以上」という事実だけが漏れても、それでなりすますことはできません。お店が知らなくていい情報を受け取らなければ、一人あたりの被害は限定できます。保存し続けなくていい情報を手放せば、退会した人や一度きりの客の情報が溜まらず、巻き込まれる人を減らすことができます。

自分に合った提案を受け取れる

今のターゲティング広告では、私たちの行動や、年齢・性別・地域といった身元の情報から関心を推測しています。姪の誕生日にぬいぐるみを買うと、しばらく子ども向けのおもちゃの広告が続きます。冷蔵庫を買い替えた後には、冷蔵庫の広告はなかなか消えません。

ウォレットから「必要な分の情報だけ、本人が渡す」という考え方は、こうしたおすすめや提案にも当てはめられます。「40代・居住地:東京都」という身元を渡す代わりに、「今はキャンプ用品とコーヒーに関心がある」と、本人が選んだ関心を、伝えたい店にだけ伝える。これは発行元の署名がある証明ではなく、本人の申告です。それでも、身元から推測するより本人の意思に近く、お店は身元を知らないまま的確な提案ができます。本人から関心を受け取って提案に生かす仕組みが整えば、身元の情報に頼る必要はなくなります。

お店のリスクも減らせる

お店にとっては、狙われる理由と守る負担を減らすことができます。

攻撃者は、得られるものが、かかる手間を上回るときに攻撃します。これまでの対策の多くは手間を増やすものでしたが、AIが手間を下げる今、効いてくるのは得られるものを減らす対策です。家に現金を置いていなければ、空き巣に入られても盗まれるものは少なくて済みます。同様に、守るべき情報が減れば、守るための手間や費用も、漏洩が起きたときの調査や通知、信用の低下も小さくなります。

もちろん、すべてを手放せるわけではありません。返品や問い合わせ、定期便など、一定の期間は持つ必要がある用途もあります。法令で保存が求められる場合もあります。そうした場合を除けば、確認が済んだ免許証の画像などを長く持ち続ける必要性は、小さくなっています。

課題と進展

ここまで書いてきた仕組みは、まだ当たり前にはなっていません。しかし、実現に向けた動きは各所で進んでいます。

課題 進んでいること
誰もが持っているウォレットが必要 2025年6月にiPhone、2026年10月20日にAndroid(対応機種)で、マイナンバーカードをスマートフォンに標準で入っているウォレットに入れられるようになった。対面での確認から使われ始め、オンラインでも一部のアプリが対応している
通販サイト(Web)から証明書を受け取る入口が必要 ブラウザからスマートフォンのウォレットを呼び出す仕組みの標準化が進み、主要なブラウザが対応を始めている
ウォレットに入る証明書の種類を増やすことが必要 EUは、さまざまな発行元の証明書を入れられるウォレットを、2026年12月24日までに各加盟国で提供するよう義務づけている。2027年末には、一定の事業者に受け入れの義務もかかる

マイナンバーカードのスマートフォン対応など、入れ物は整い始めました。中身が増え、受け取る側の入口が広がるのは、これからだといえます。

まとめ

ここまでの要点をまとめます。

  • 2026年秋、退会した人の情報まで含む大規模な漏洩が相次いだ。AIによって、攻撃はさらに速く、広くなりつつある
  • 被害を大きくしている根本原因は、同じ個人情報を、たくさんの会社が持ち続けていること
  • VCを使えば、生年月日を知らずに「20歳以上」を確かめられる。住所も、買い物のたびに最新のものを受け取ればよく、ずっと保存しておく必要はない
  • 利用者は、漏れたときの被害を限定でき、身元を明かさずに自分に合った提案を受け取れる。お店は、狙われる理由と守る負担が減る

本稿は、以前の記事「「再入力」のないEC」で便利さの側から描いた仕組みを、守りの側から見直したものです。その記事で描いた、本人に代わって商品を探すAIエージェントがウォレットを預かり、相手や場面に応じて必要な項目だけを渡すようになれば、便利さと安全は同時に手に入ります。

守りを固めるだけでなく、そもそも預けすぎない。そのための仕組みは、もう手の届くところまで来ています。

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